あなたは、「この人ちょっと嫌かも…」と思い始めたら最後、とことんまで嫌いになってしまう・・・そして、ぷつっと関係を断ってしまう・・・。そんな傾向はありませんか?
自分て変だよね…と自覚してはいたけれど
わたし自身がそうで、とことんまで嫌いになってしまう自分を「どうにかしたい」と思っていたけど、どうすることもできず、長い間生きてきました。
極端な性格してるよな…と思うようになったのは、いつ頃からだろうか…と昔を思い返すと、社会人になってからなので…多分、22歳前後です。
当時働いていた職場で、ものすごーーーく嫌いな上司がいましてね。
毎日顔を会わせるのが嫌で嫌でたまらなかったんです。
しかし一般的には、嫌われる上司って、怒りっぽかったり、部下の話を聞いてくれないとか、仕事丸投げで自分はサボってる…なんてタイプだと思うんですが、わたしの場合嫌いだったその上司は、仕事はできるけれども威張ったりしないし、気さくで、部下に慕われている方だったんです。
そんな方をなぜ嫌いになってしまったのか…これ!という大きな理由があるわけではなく、ちょっとした(キモイって思っちゃうような)しぐさとか、ものの言い方とか…そんな些細なところで「嫌だな」って感じていて、それが積み重なって大っ嫌いになったような気がします。なんですが、そこまで嫌いになるほど悪い人じゃなかったので、自分て変だよね…と思っていました。
でも、自分が変でもなんでも、とにかく嫌だと思ったら、もうどうにも止まらないんです。じきに顔も見るのも嫌になって、仕事を辞めたい辞めたい、ってそればかり考えるようになっていました。
そんな感じでわたしはたいてい、職場の嫌いな人なら、仕事を辞めたいって思うし、友達関係とかプライベートで嫌いな人がいたら、一生会いたくない!!と避けるということを繰り返してきたんです。
自分て極端な性格だよな…って思うようになってから20年近くが過ぎた今。
ようやく、この極端さが…右か左かしか行けないT字路みたいなわたしに…。TT兄弟みたいなわたしに…。 いや、TT兄弟とは違うけど…どうでもいいけど…。
変化が現れはじめました。
例えるなら、メニューがブラックコーヒーとミルクのみの喫茶店に、カフェオレが登場したような。
例えるなら、豆か草しかなかった大福に、いちご大福が登場して、甘さとすっぱさのハーモニーを味わっているような。
ちなみに、例えが食べ物なのは、今お腹が空いているからです。
お腹が空いていなければ、もうちょっと気の利いた分かりやすい例えが思いつくと思いますが、今は無理です。無理なんで、とにかく早く、いちご大福をください。
つい最近も…
実は、今から一年ほど前にも、すごく大嫌いになってしまった人がいたんです。
これまでの傾向だと、大嫌いになった人のことをまた好きになる事はあり得なくて、ちょっと嫌いになったら最後、どんどん嫌いになる一方だったんですが。
でも今は、その人を嫌いではないんです。
大嫌いになって関係をブチっと切って、はいサヨウナラ、ということになっていないんです。
一体どうしてなのか・・・宇宙人にさらわれて、なにやら装置を埋め込まれ、それから別人のような性格になってしまった・・・なんてセンセーショナルな話ではありません。
「この人嫌い!」と思い始めたときに、「このままだとまた大嫌いになっちゃいそうだな」と黄色信号が光るので、そこで対策を講じているんです。
前置きが長くてすみませんでした。 ここから、私が日頃、どんなことをしているかを書きます。
白黒思考になっていないか?
とことん嫌いになってしまう極端さは、「白黒思考」と言われる思考の癖からきてると思います。
白か、黒かで物事を決めつけてしまう傾向があるので、好きな人のちょっと嫌なところを見てしまうと、良い人→ダメな人 という見方になり、好き→嫌い へと一気に気持ちが変わってしまうというわけです。
それは、敵か味方かという二択で判断しているってことでもありますね。
好き=味方
だけど、ちょっとでも嫌いなところが出てきたら、その人が”敵”になっちゃうんです。
人間だれしも、長所があれば短所もあり、それら全部をひっくるめてその人であって、敵と味方のどっちか…なんて二択で分けることはできない。
そう柔軟に考えることができたら、ちょっと嫌だな、って思うところがあっても「ま、そんな一面もあるよね…」くらいで付き合っていけます。
でも、良い・悪い、敵・味方で判断しちゃうので、「まあ、そんなところもあるよね…」なんて到底考えられないんです。
若かりし頃のわたしは、自分にそういう傾向があるってことをまったくわかっていませんでした。今は、わたしは白か黒かで物事を決めつける傾向があることを自覚しています。
そのため、なんかこの人の嫌いなところばっかり見てるなあ…なんて気付いたときに、自身を振り返ることができるようになりました。
また白か黒かで見てたなって気づいたら、自分にも欠点があるように、あの人にだってそりゃああるさ!と考え直したり、嫌なところもあるけど、良いところももちろんあるんだよね。って、良いところを探したりします。
そうすると、嫌い度数が下がるんですねえ。
先日、1年前に、一度大っ嫌いになった人と、穏やかに会話をしていて。冗談言って笑いながら、「ああ、良かったなあ…」ってしみじみ感じました。
嫌だと思ったらぶった切るしかしてこなかったわたしが、ぶった切らずに、今こうして笑って会話をしているなんて。 嬉しいことです。
嫌いな人がいてもいい
とことん嫌いになってしまう・・・。これの何が辛いかというと、”顔を見るのも嫌なくらい嫌いな人がいる”という事よりも、実は、”別にそこまでの悪人じゃないのに、こんなにも人を嫌ってしまう自分自身”が辛いんじゃないかと思うんです。
わたしはそうでした。どうしてここまで嫌いになるのか分からないくらいに嫌いになってしまう自分。そしてそんな自分をどうすることもできない。それがすごく辛かったです。
結局、こんな自分をもっとも嫌っていたんです。
どうしてわたしはこんなに人を嫌いになってしまうんだろう…わたしはおかしい。変な人間だ…って。
そう、自分自身の事もやっぱり、良いか悪いかの二択で見ていたんですね。
今は、また人を嫌いになってるよ・・・って気づいたときに、”だから自分はダメなんだ”と思わないようにしています。
そうかー、〇〇さんのこと、嫌いだって思っているんだなあ・・・と、”ふーん”って、興味のない話を聞いてる時みたいに”ふーーん”って一歩ひいて自分を見るようにしています。
そうすると、自分に✖をつけないから少し気持ちが楽になります。気持ちが楽になると、嫌いなその相手の事も少し、どうでも良いような気に…少しね、なるんですよね。
嫌ってはダメだ!という気持ちが、自分自身を苦しめて、より、嫌いな人のことが頭から離れなくなってしまうみたいです。
こんな感じで、わたしは、自分の思考を見つめ直したり、自分自身に✖をすることをやめることで、とことん嫌いになってしまう・・・という状態に歯止めをかけています。
何を我慢しているのだろう?
嫌いになったら、とことん嫌いになっちゃう人って、わりと、遠慮がちで言いたいことが言えなくて、相手に合わせるタイプじゃないかなって思うんです。
言わないで我慢してるから、不満がたまり、ストレスがたまって、それが「とことん嫌い」に発展していくんじゃないかなって、思うんです。
我慢、我慢、我慢。 それが、とことん嫌いになる原因のひとつだとしたら、この我慢づくしの人付き合いを変えていくことで、変化が現れるのではないでしょうか。
別にね、「あなたの言い方、まじでイヤなんだけど!」って、気が強い人と同じように、はっきりとした口調で、はっきりと主張しなきゃいけないわけでもないんです。自分が言いやすい、伝えやすい形で良いんです。冗談めかして、手紙で、電話で、やんわりと…。
絶対にこう言わなきゃいけない!なんてことはありません。
ただ、何に我慢しているのか、その我慢をどうしたら解消できるのか…そこは、自分を見つめて、よく考えて、実際にやっていくことが大切です。
希望を胸に、人付き合いを楽に!
「誰とも長く付き合えない」とか「関係をすぱっと切ってしまう」とか「嫌いになったらとことん嫌いになってしまう」といったことで悩んでいて、自分の性格はおかしい、自分は変だ・・・と、人との関わりを煩わしく感じ、孤独を感じている方も、自分なんてどうせ変わらない、何をしても無駄だ、なんて諦めないでほしいです。
長年、同じようなことを繰り返して苦しんできたわたしも、自分の思考がマイルドになっているって実感できるようになり、人付き合いのしんどさが減ってきているのですから。
実際、思考の癖を直すのは、言葉で言うほど簡単ではないです。何年も、何十年も、ずっとそういう考え方を続けて、強化されていて、ずっと同じ人付き合いの形をとってきたのだから、直すのだって、すぐってわけにはいきません。こればかりは仕方がありません。そういうものなんですから。
でも、道のりは長いのかもしれないけど…時間がかかるからこそ、変わってきた自分を感じられたときの喜びは大きいですよ。ほんと。
わたしも、行きつ戻りつしてますが、これからも諦めないでやっていこうと思ってます。
あなたも、とことんまで嫌いになってしまう自分をどうにかしたい!と思うなら、陽だまり教室にきてください。一緒に取り組んでいきましょうね。
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