悪口を自分で言った後、あるいは悪口を言う人と一緒にいた後、なんだか気分が悪くなる…。
そのたび、記事にしてきました。



気分が悪くなる事が嫌だったので、自分がどうしたら悪口を言わずに済むのか、また、悪口が言う人達の輪に入ってしまったらどうしたらいいのか…。私は今まで主に、気分が悪くならないためにできる事は何か?を考えてきました。 その場でできる事、または、その後でできる事…いわゆる”対処法”について、です。
それを実践していく中で…そして、自分のこれまでの人生を振り返っていたら…対処法とは別の『なるほど、そういうことか~』と新たな発見がありました。
それは、”悪口でなぜ気分が悪くなるのか”という…”WHY”の部分です。
悪口をよく言う人達は、『吐き出さないとやってらんない!』と言います。『悪口を言うとすっきりする』と言います。
私もそうでした。この不満を、このイライラを分かってくれる人がいる…! 話す事で気持ちが楽になるのです。
だけど、そういうすっきり感とか気持ちが楽になるのは、一瞬なんですよね。
翌日にはまた、悪口を言いたくなっていて、嫌いな人だとか、嫌いな仕事のことばかり考えていて、いやーな気分で、それを解消したくて、結局また悪口を言っています。
どうして悪口を言っても言っても、はい、終わり!とならないのか。いつまでも繰り返しているのか。なぜ、気持ちが楽になっても、一瞬だけなのか…。
なるほど、それは自分が変わろうとしていなかったからなんだ!とハッとしました。
自分は被害者、私は悪くない。
あんなひどい事をする〇〇さん。
こんなにひどい仕事環境。
ひどいのは、相手、環境。決して自分ではない…。
悪口を言っているときって、”自分は悪くない”がベースにあったんです。
自分がこんなに辛いのは、相手のせいだし。
自分がこんなにしんどいのは、この職場のせいだし。
自分は被害者。だから、私は悪くない。相手が悪い、周りが悪い…!
過去を振り返って、記憶に残っている出来事の中で、辛かった事とか嫌だった事などを改めて思い返すと、私には常に”被害者意識”がありました。
これなんです。この”被害者意識”でいることに、今は、気分が悪くなるのだろうと思いました。
自分からの働きかけがないから
おしゃべりが好きで、仕事中もべらべらと話しかけてくる人がいる。真面目に仕事しろよ!って思う。
その人が話しかけてくるから、仕事がはかどらない。すごく迷惑。なんなの、この人!私は真面目にやりたいのに!
って、昔イライラしていた事がありました。同じように感じている人と、かげで悪口を言っていました。
実際、その人が話しかけてくると仕事がはかどらないのは困るし迷惑です。だけど、私自身が、何か対策をしたのだろうか?って考えると…何もしていませんでした。その人に合わせていました。それで陰で悪口を言っていました。
「仕事中なので、また後で、聞かせてください!」
そう言おうとしたことはあったのか…? いや、一度もない。 そもそも無理だと、そんな事が言えるわけがないと、はなからしようとしていなかったんだよなあ。
いくら年上でも、いくら気まずくなるのが怖くても。 何もしようとしなかったのは事実なんだ。そんな自分に非はないのか…? 本当に相手がすべて悪かったのかな…。
違うよなあ。
”相手に合わせて我慢する”という選択を自分でしていたんだもの。そう、自分で決めていたのに、それは棚に上げて、話しかけてくる相手が悪いと、相手を責める。それってずるいよね…。
もし、自分にも非があると認めていたら、その相手を延々とディスることはしないのではないか…。
グチぐらいは言うかもしれない。 『あの人、話が好きだから、仕事がはかどらなくて困るんだよね~』って。それくらいは言ってもいいと思う。だけど、いつまでも”自分は悪くない”という立ち位置で、悪口を言い続けるのは違うよね。
だいたい、『相手に合わせてしまう私も悪いんだけどね』って、自分の非も認めていたら、そんなに悪口ばかり言い続ける事はできないだろうなあ。
結局、今まで私は、相手が変わることを期待してただ待っていたのです。でも相手はいつまでも変わらないんです。だから我慢するのは私ばかり。 なんて最悪な人!私をこんなに苦しめて!!と悪口を言う。相手が変わることを待っているから、いつまでも悪口が言えるし、いつまでも言いたい。
でも、それは、一番楽なこと。 こっちは何もしなくて良いんだからね。私は被害者で、かわいそうだからね。
そうして、相手の言動が変わってくれる日を今か今かと待っている。それは見張っている、とも言える。そしてずっと我慢している。それが続くから、悪口を言ってスッキリするのは一瞬だけ。
いつまでも、悪口を言い続けることになる…。
自分から目をそらし、自分から逃げる行為
仕事がきついのに給料があがらない。上の人たちはめっちゃ楽している。なんで私ばっかりこんなに働かなあかんねん!安い給料でさあ!
…ってずっと不満があるのなら、その仕事を辞めることができる。もっと給料が良くて楽な仕事を探すことができる。
あるいは、上の人に給料あげてほしいと言うこともできる。
それらはしない。それをしないで、文句ばっかり言って、そこに所属させてもらいながらも、不満な額の給料をもらい続ける。
・・・ズルいのだ。卑怯なのだ。しかし、悪口を言っている間は、そういうずるい自分を見なくて良い。自分に非があることを認めなくて良い。何もしようとしない自分から、目をそらすことが出来る。
昔はそれでよかった。そうしていたかった。
過去の私はそう、いつだって”被害者”だったのだ。
私は悪くない。周りのせいで、私はこんなに辛いのだ。だから私は可哀想だ…。
夫が悪い。姑が悪い。勤め先が悪い。住んでいる場所が悪い。親が悪い。ママ友、ご近所さんが、友達が悪い…!
だけどこれは違うということに気付いた。私は被害者ではない。私自身が、それを選んできたのだ。
私の意志でそうしてきたのだ。
それに気づいたから、悪口を言う自分に、悪口を言ってばかりの人に、気持ち悪さを感じるようになったのか…!
感謝しないから悪口が続く
悪口を言うこと…つまり、自分は被害者、自分はかわいそうだ、という立ち位置にいると、どうやら感謝の気持ちも持てないようです。
自分は悪くないって思っていたら、してもらってありがとうございます…って思うより、してもらって当たり前って思うから。 それくらい当然じゃないか、私はかわいそうなんだから!って思うから。
感謝をしないから、周りからしてもらっている事、ありがたい事に気付けない。だから不満がたまっていく。不満がたまっていくから、悪口が止まらない。
してもらって当たり前。
気付いてもらって当たり前。
私は、何もしなくていい。
私は、悪くないから。
悪いのは、周りの人。そして、環境。
私ってずっとそうして生きてきたのかあ。
愚痴は言ってもいい。そうしなきゃ、やってらんない事は、日常で多々ある。だけど、そこにずっとい続けたらいけないね。 愚痴ってその場限りのもの。自分を保つために、時には必要なもの。
だけど、悪口は、自分は被害者という立場にいて、何もしないで、相手をひたすら責め続けるって感じかなあ。
不満があるならば、自分が今出来る事を考えて、それをして、その状況が変わる努力はしないといけない。
出来る事をやってみたけど、状況が変わらない。むしろ悪化した…そうしたら、逃げたっていい。その場から離れる、逃げるということだって、立派な行動。
過去の私は、”私は被害者だ。可哀想なんだ”という意識を持っている人たちといるのが居心地が良かった。
もしも「あなた、被害者意識が強いのよ!自分で出来る事は、何かしたの?」って言ってくるような人がいたら、「何を言ってるの? 私の気持ち、わかってくれないのね!嫌い!」って、そういう人の悪口もまた、言っていただろうな。
気付いたから、気づいた以上は、今までと同じことをしていてはいけないな。
悪口を言うと、悪口を聞いていると、なんで気分が悪いんだろう~?!なんで~??? って思いながら、それでもやめられない…!っていう状態も、もうNGだな。なんでだろ~??もやっぱりまだ、自分は被害者の立場になってるもんね。
自分の言動に責任を持つって、こういうことかな。
自分がしていたことが客観的に見れるようになり、だから、今からしなきゃいけないことも見えてきたのかな。
自分の人生の舵を他人任せにしていたんだから、そりゃ不満がたまるよね。悪口言いたくなるよね。だけど、悪口を言っているだけじゃずっと、舵は自分の手に戻ってこない。
今できる事を考えて、やっていく。その積み重ね。とにかく思いつく事をやっていく。その行動が、自分の手に舵があって、舵をきっているってこと。うまくいく、いかないは関係ない。自分で舵を切っていたって、うまくいかないときもある。その時、さらにどう工夫したらいいんだろう?と試行錯誤していけるかどうか。
もし、悪口は言いたくないんだけど、つい言っちゃうとか、そういうグループにいると気分が悪いとか…前はそんなことなかったのに…というならきっと、「そろそろ被害者意識から抜け出そうよ。っていうか抜け出せるよね、今は!」っていうサインだと思うんですよね。 だけど、サインをキャッチしても、今何をしたらいいか、何ができるのかわからない時は、ぜひ私にも一緒に考えさせてください。
そうして被害者意識から、共に抜け出していきましょうね。
