皆さんにいきなり質問です。
最近、ガッツポーズをしましたか?
わたしは、しました。
昨日もしましたし、一昨日もしましたし、なんなら今日も、これからすると思います。
・・・いや、今やろう。
やったーーーーー!!!!!!
どうしてこんなにガッツポーズばかりしているのかですが、何も「鉄腕アトム」のモノマネ芸人を目指して練習しているわけじゃないんですよ。
「ガッツポーズで世界平和を!ガッツガッツ!」と、謎の宗教活動をしているわけでもないんですよ。
単純に、嬉しいのです。とある資格を取るために半年前くらいでしょうかね、毎日コツコツと勉強を続けていたんですが。やっとこ、終わったんですよ。試験が。
終わった後の解放感ったらもう!最高ですよ、最高!そりゃあガッツポーズを何回したって、足らないですよ。
これからも毎日やります。あと2週間くらいは、毎日ガッツポーズします。せっかくなので、アトムの恰好をして、アトムのカツラもかぶりましょうかね。
『あのさぁ~。アトムはガッツポーズをしているんとちゃうで。宇宙を飛んでるんやで。しかもアトムは、両手をまっすぐ伸ばしてないで? 一緒にすなよ。』
↑どなたかからこう言われたら、わたしはぐうの音も出ません。確かに画像を検索してみたら、アトムは両手をしっかり伸ばしてないですね。片手は肘を曲げております。
両手をしっかり伸ばして飛ぶのは、パーマンですね。パーマンの恰好をせねば! パーマンのヘルメット、ドンキに売ってるかなあ?どなたか、ご存知ですか?
ところで、何の試験を受けたのかまでは、具体的に書くのはやめます。すみません。わたしはここに職場の方とのあれこれを沢山書いているので、身バレしたらと思うと怖いんです。 万が一同僚がこのHPを発見して、「おや?もしかしてこの人って…美月さんじゃない?!」なんて思われたら終わりですよ。「美月さん、最近試験勉強してたし…間違いない!っつーか、美月さん、わたしの悪口書いてるじゃん!ひどい!!」なーんてことになったら、記事はもう全消しですよ。そして、半べそかきながら家出しますね。そして、ワンコを連れて、オーバーオールを着て、「同情するなら金をくれ!」「同情するなら金をくれ!!」と待ちゆく人々に声をかけることになります。(←この話が分かる人は昭和生まれですな?!)
そんなことはしたくないので、どんな試験を受けたかは具体的にはしませんが、兎にも角にも終わりまして、本当に気分が良いです。最高!乾杯!
とはいえ、合否が分かるのは1ヶ月以上先でして、手応え的には・・・微妙です。
難しい問題があって、なんじゃこりゃ??と頭の中が?で埋め尽くされた瞬間が幾度か訪れました。
まじで、難しい…。
こりゃ受からんかも…。
終わったのは嬉しいけれど、受かっているか微妙。 本当に嬉しいのは、合格通知が届いた瞬間なはず。
なので、今ガッツポーズはしてるけど、“ガッツ”の部分に100%の力を込められていないのが、現実です。 今は“ガッツ”の部分に95%の力しか込められず、残りの5%の“ガッツ”が待ちぼうけしています。5%の“ガッツ”がソワソワしています。ガッツなだけにガツガツしているのかと思いきや、ガツガツはしていません。ソワソワしています。
早く結果が知りたい。解答を知りたい…!
こんなとき、便利な時代になりましたね。ネットで調べられるんですもん。
解答速報を検索していたところ、Twitterでその試験を受けた方々のツイートにたどり着きまして。
「難しかった!!」と呟かれている方が沢山いらっしゃいました。
そっか、難しいと感じていたのはわたしだけじゃなかったんだ!!と何だかホッとしました。
で、ツイートを見ながら、面白い事に気付いたんです。
・・・ものすごく前置きが長くなりましたけども、わたしが書きたかったことは今、ここからです。そう、今までは前置き。“ガッツ”が95%だとか、アトムだとか、パーマンだとか、そんな話はどうでも良かったのに、長々と書いてしまいました。
呟く内容が2パターン
何に気が付いたかと言いますと、呟きの内容が2パターンに分かれていることです。
ひとつは、「なんだ、この問題!難しすぎるし、テキストにも載ってないし!ちょっとどうなってんの?!」と、試験内容や問題を作った人へ腹を立てているツイート。
もうひとつは
「問題、難しくて分からなかった…自分の勉強不足だわ…」と、自分の努力不足を嘆くツイート。
【悪いのは自分じゃない】と【悪いのは自分】の2通りなのですよ。
こんなとき、皆さんだったら…どんな風に考えますか?
わたしは最初、後者でした。問題を解きながら、「やばいー分からないーもっと勉強しておけば良かったー」と思っていましたし、終わった後も「あーあ、もっと勉強しておけばよかったなあ…」と思いながら家路に着きました。
でも、その後ツイッターを見て、難しいと感じていたのは自分だけじゃないと分かり、【この問題作った人、ふざけんな!】的な怒りのツイートを見て、わたしも段々とそっち寄りになっていきました。
面白いですね~。これ、日常の色々な場面で似たような考え方をしているんじゃないかと思うんです。
柔軟に考えた方がやる気が上がる
例えば、人間関係のゴタゴタ。
そんなつもりで言ったわけじゃないのに、相手が誤解しちゃうパターン。
相手はそんなつもりで言ってないのに、自分が勝手に誤解して、悲しんだり怒ったりパターン。
こういう場合に「いや、それはあなたの伝え方が悪いわよ。そりゃ誤解するっつーの!」って即座に考える人と、「自分の言い方が悪かったせいで…」と考える人。
相手との関係性によって違っていたり、その時の気分とか状況によっても違ってくるとは思いますが、傾向としてどちら寄りかっていうのがあると思うんですよね。
わたしが言いたいのは、どっちの考え方が良いとか悪いとかって事ではなくて。自分の傾向を知っておくことが大切だよね、って事です。
疲れていたりストレスがたまっていたりすると、傾向がある方により引っ張られてしまって、極端になっちゃうんですよ。こっちは良いけどそっちは絶対ダメ!!みたいな。
今回の事で言えば、わたしの勉強が足りなかったことも、問題自体が難しかったことも、どちらの要素もあったと思うんですよね。それに、勉強が足りなかったかもしれないけれども、その日その日で出来る事はしてきたし、勉強をコツコツやってきた事は自分で評価できる事なんです。
だから
「確かに問題は難しかった。でも合格する人もいるんだから、問題の出し方が悪い!と一概には言えない。自分の勉強不足もある。でも、ここまで努力してきた事はえらい!よくやった、自分!」って、柔軟に考えられると良いんだなと思いました。
”問題が悪い!”も、”自分が悪い!”も、どちらも意欲を失くすんですよね。次こそ受けるぞ!頑張るぞ!っていう意欲が湧いてこなくなっちゃう。ふて寝したくなっちゃう。ふて寝して、起きたらポテトチップ食べて、だらだらとテレビ見て、また試験の事を思い出して嫌な気分になって、ふて寝して、起きたら今度はドーナツを食べて、お腹いっぱいになって、また思い出して寝る・・・っていう悪循環になっちゃうかも。
”問題は難しすぎた。そして勉強不足もあった。しかし、何はともあれ自分、よくやった!”って感じだと、次も頑張ろう!って思えるんです。やる気って自分の考え方次第で、ずいぶんと変わりますねえ。
…とそんなことを考えていたら、そのようなニュートラルなツイートをしている方もちらほら目に入ってきました。
人間は見たいものだけを見ようとする という言葉を聞いた事がありますが、まさに!ですねえ。最初はこのような柔軟なツイートがさっぱり視界に入ってこなかったんですから。
どんな傾向があるか
さっきも書きましたけど、自分は悪くない!も自分が悪い!も、どちらが良いも悪いもなく、どちらにも良い面はあるし、どちらにも悪い面もある。それは忘れちゃいけません。(これは自分自身に強く言っておきたい。強く、強く、フォルッテシモ。)
”自分が悪い…”は、自信を失いやすいけれど、真摯に反省できるという良い面があるから、成長していけるし、
”自分は悪くない…!”は、反省するチャンスを逃すかもしれないけど、自分自身をしっかり守ることができるという良い面がありますもん。
ただ、どういう状況だと自分を責めやすくなるのか、どういう状況だと他人や環境のせいにしやすくなるのか…。傾向がわかっていたら、人付き合いで「どうせ自分がダメだから」とか「あの人いっつも〇〇してムカつく!!」なんてイライラしたり落ち込んだり…ってことを、回避できる可能性が高くなります。
その場では、いつものパターンで考えてしまったとしても、後で落ち着いて考え直してみたら、『あらら、まーたわたしったら、良いか悪いかのどっちか!って二択にしていたなあ。』とか気付くことができますからね。
まあ、傾向を知ると言っても、言うは易く行うは難しってもんで、これこそ試験とは違って答えなんてすぐ出ないし、変わってもいくだろうし、自分の事だけどよくわからないもんです。
ただ、自分を知ろうとする姿勢っていうか、心がけというかが大切で、自分を知るために客観的に自分を見ようとしたり、自分と向き合おうと決めてやっていく。それを続けていくと、自分の癖に気付きやすくなったり、新しい考え方をひらめいたりしやすくなると思うんです、はい。
ところで、解答速報を確認したところ、わたしの合否は、まじで微妙でした。受かっているかもしれないし、落ちているかもしれない…といった感じで、ドキドキが止まりません。正式な合否発表までドキドキしながら、95%のガッツポーズはもうしばらく続けて、ドンキでパーマンが売っていたら、パーマンになりきって解放感を味おうと思います。