わたしは長い間、孤独をいつも感じながら生きていました。
今から約16年前、他県に嫁いで、知り合いがいない土地で出産して、孤独な子育てが始まった。
なんて寂しくなんて不安なんだろう…。最初は、誰も知り合いがいない場所にいるから孤独なのだろう、と思った。
だけど、1年経っても、2年経っても、友達は出来なかった。息子と公園に行けばいつもいるご近所のママさん達とは、それなりに会話はできるようになった。
でも、友達と呼ぶほど仲が良くない。ほかのママさん達はそれぞれおしゃべりに花を咲かせているし、家の行き来もしたりして、とても仲が良さそうだ。
わたしはそこまでの付き合いができる人はいない。孤独感は消えなかった。公園に行くのも本当はしんどかった。雨の日は外に出なくて済むから、ラッキー!と思っていた。
次第に、こんなに孤独なのは、自分の性格に問題があるんだ、と考えるようになった。そういえば独身時代だって、友達はいたけど、本心を見せられる人がいたのか…どうなんだろう…。わからない。
そうか、孤独なのは自分が他人に心を開けないからだ、と考えるようになった。
その頃本屋でたまたま心理学の本が目に留まり、なんとなく買ってみた。読んでびっくりした。わたしの孤独感や生き辛さの原因が、そこに書かれてあった。…ように感じた。
そうか、わたしは心に傷があるのか。心の問題なのか…。
グループの仲間
ちょうどスマホを持った頃で、ネットでも色々な情報を検索するようになった。
そこで、楽しそうに活動しているグループを見つけた。そのグループには、わたしのように心に傷を持つ人たちが集まっていた。みんなそれぞれに辛い人生を送ってきたけれど、そのグループに属するようになってから、傷も癒えて人生が変わった、という人達だった。みんな生き生きしているように見えた。そのグループのリーダーである先生がまた、楽しそうで、魅力的だった。
この頃、『仲間がほしい』とよく日記に書いていた。そう、孤独はもう嫌だ。仲間が欲しいんだ。このグループこそ、わたしが求めていた仲間なんじゃないか。
グループに入るにはお金が必要だった。今までコツコツためたお金を、当時の夫に内緒で使った。そうして念願だったグループに属するようになった。みんな、わたしという存在を認めてくれた。誰もわたしを否定しなかった。『さゆちゃん』と呼び、話をしてくれた。大変だったね、と言ってくれた。嬉しくて楽しくて、毎日幸せだった。
今までどれだけ孤独だったか、どれだけ辛いことがあったのか。
グループみんなの話を聞いていると、安心した。そっか、わたしだけじゃなかったんだ。仲間っていいな。そう思った。
身近な所では相変わらず友達はいなかったけど、もうどうでも良かった。その頃には息子達も小学生になっていたから、公園に行く必要はなかったし、ママ友なんて居なくて良かった。そのグループさえあれば、他はどうでもよかった。なんなら、こんな素晴らしいグループを知らない人たちを哀れだとすら思った。
グループに属するようになって数か月は本当に、”楽しい”しかなかった。でも、半年、一年…と経つにつれ、何か引っかかるものを感じるようになった。その引っかかりが何なのか、分からなかった。でも、グループの人たちと話をしていると決まって感じる違和感。なんなんだろう…?よくわからないけれど、だんだんと、楽しい、嬉しい、幸せ!!!! だけではなくなっていた。
ある日、グループの何人かで、オンラインのお話会をした。人数は確か10人弱。誰が何を話しても良い空間だ。一人が口を開く。悩んでいることを話している。ほかのみんなは『うん、うん』と聞いている。みんなが同様に、辛いんだねという顔をして『うん、うん』と頷いている。
『だから、わたし、こうしようと思って…』というその人に、他の人は『うん、うん。そうだね。』と言う。わたしも、『うん、うん。そうだね。』と頷いている。
『うん、うん。そうだね—–』
ああ、これか。違和感は、これだ。
ここでは、自分の気持ちや自分の考えが、他の人と違ったときに、それを口にする人がいないんだな。
自分の気持ちや考えを否定されることはないけれど、いつも『そうだね』って言ってくれるけど。『わたしはこうなんです。じゃあ、あなたの気持ちは考えはどう?』という、その先が。その続きが、ないんだーーー。
本音で、話していない。わたしを含め、誰一人として。
ぼんやりと感じていた違和感の正体がわかった。”うわべ”なんだ。
本当の仲間との出会い
わたしが欲しい仲間って、自分をただ肯定してくれるだけの人じゃあないんだな。
自分の気持ちや考えを口にした後に。『うん、うん』で終わらせるのではなくて。よく分からないなら『ちょっとどういうこと?』って、さらに質問したっていい。もし自分と考えが違ったら『わたしはこう思うよ』って、そう言える関係。相手がとんでもない方に行こうとしていたら『ちょっと待ちなさいよ、落ち着いて』って言える関係。
そんな仲間が欲しいんだ。
先生の教えとおりにしていたら絶対に幸せになれる。
今、幸せじゃないなら、それは、自分が間違ったことをしているからだ。そう信じてきた。先生が言う事は10000%正しいと信じてきた。
でも本当にそうだろうか。先生の言うとおりにするだけの人生は、自分の人生を生きていると言えるのか・・・。
わたしだったら、こうだ。あなたは、どうだろう?他のやり方はないのか…?
考えて変えてみる。その連続で、自分なりの答えを見つけていくことが・・・自分の人生を生きているってことじゃないのか。本当の幸せなんじゃないのか。
わたしは、グループを抜けた。
グループを抜けてから、身近な人に目が行くようになった。グループにいたときは、その世界がわたしのすべてだったけれど、本当に大切にしなければいけなかったのは家族だということを知った。
家族こそが仲間じゃないか。家族こそ、一番の仲間じゃないか。ネットの向こう側の、バーチャルな世界にどっぷりと入り浸っていたわたしの目が覚めた。
だけどやっぱり、家族には言えない事もある。家族の事で悩んでいたら、それを家族に言えるはずはない。友達だから話せることはたくさんある。仕事、恋愛、夢…。
家族以外にも仲間が欲しい。その気持ちはずっとずっと消えないまま、年月が過ぎていった。
孤独だなと思う事はあったけど、またグループに戻りたいと思う事はなかった。
あることをきっかけに、一人の女性と知り合った。詳細はこちらの記事↓に書いたので割愛。
Aちゃんは、仲間だ。わたしがずっと求めていた仲間。…そう感じる出来事があった。
Aちゃんがあることで迷っていた。
1と2のどちらを選択するか…。
1を選んだ方が良いのはわかっている。でもそれを選べば不安が大きい。お金もかかる。だから2を選ぼうかな…と迷っていた。
Aちゃんの話を聞きながら、1を選んだ方がAちゃんにとって良いんじゃないか、と感じた。不安なことは色々とあっても、1が良い、と思った。
でもその時点ではAちゃんは2の選択肢を選びそうな感じだった。
グループに居た頃のわたしだったら、『Aちゃんが2を選ぶなら、それでいいと思うよ。』と言ったはずだ。『わかるわかる、不安だよね!』って言ったはずだ。
けれども、この時のわたしはそうしなかった。それを言ったら、Aちゃんとの関係がうわべだけのものになってしまう、と感じた。また、自分にもうそをつくことになる。それは過去のわたしだ。もうそれはしたくない。
だから、1が良いと思う、と言った。
今まで、わたしはそうは思わない、わたしはこう思う、と自分の意見を言えなかったのは、嫌われたくなかったからだ。ずっとずっと、嫌われるのが怖かった。グループにいたときも、みんなから嫌われるのが怖かった。
でも、Aちゃんと話しているときに嫌われるんじゃないか…という不安はなかった。きっと大丈夫、という自信があった。
自分が感じていることを素直に伝えられたときに、Aちゃんはわたしがずっと求めていた仲間なんだな、と思ったのだ。
かつてのグループにいた頃みんなといて感じていた喜びは、一気に上昇していくジェットコースターのようだった。本当は不安でも、本当はライバル心むき出しでも、それは無いことにしていた。ここが最高に幸せだ、ここにいさえすれば間違いない、と興奮していた。(※)
今は、じわりじわりと泉が湧き出るように歓びを感じていて、それがずっと続いている。聞いてほしい事を、聞いてもらえるという安心感がある。Aちゃんと話していると勇気が湧いてきて、わたしもやろう!って前向きになれる。
Aちゃんも、同じように感じてくれていることがまた嬉しい。わたしも誰かの役に立っているんだ、と確かに感じられる。
仲間たちと夢を叶えたい
わたしが求める仲間は、嫌われるかも…という不安がなくて、本音で語りあえる信頼できる人。
そして、時には愚痴言ったり、凹んだりして、もしかして喧嘩することもあるかもだけど、お互いを高め合える関係。前はこうだったけど、今はこうなってきたね!と成長を歓び合える関係。
将来、〇〇しようね!って、未来への希望を語れる関係。
昔日記に、仲間が欲しい、と書いた。欲しかったのはこういう仲間だったんだ。そしてそれが実現した。なんて幸せなことだろう。
仲間ができた。ひとつ夢がかなった。じゃあ次の夢は…? そうだ、仲間を増やしていくことだ。
なぜ仲間を増やしたいかって、”自分にはこんなに仲間がいるんだぞ!”という自己顕示欲ではない。わたしが求めている仲間が増えていくっていう事は、それだけ、未来に希望を抱いて、前向きに生きる人が増えるっていうことだ。幸せな人が増えるという事だ。
そんな仲間たちと、ピクニックがしたい。澄んだ空を見上げて、綺麗な山々を眺めて、ご飯を食べて、歌を歌って、読書をして、昼寝をして、動物を愛でて、笑い合いたい。そこにいる仲間それぞれが自由に、したいことをしている。誰とも比べず、誰の目も気にせず、自分に満足している。
こんな場所で↓
人は幸せになるために生まれてきたと、今は信じている。だから幸せな人が増えるように、わたし自身ももっと幸せになれるように、自分の命を使いたい。 だからこうして、仲間を増やしたくて記事を書く。
仲間がいれば乗り越えられる。一人じゃ無理なことも続けられる。仲間って素晴らしくありがたい存在なんだと、今、身をもって感じている。あんなに孤独だったわたしが。仲間がいる嬉しさで泣けてくる。
誰にも心を開けず孤独な人生と。仲間とともに希望を胸に前に進んでいける人生と。どのみちこれからも生きていくなら、後者の生き方を。
だからわたしは記事を書く。仲間になりたいと感じてくれる方々に呼び掛ける。
孤独でいっぱいのあなたへ。
わたし達の仲間に、なりませんか。