愛する者の死を覚悟して気がついたこと

わたしはずっと、別に生まれてきたくなんてなかったし、いつ死んでもいいし・・・って思っていて、感動が薄くて冷めていて、死んだ方が楽だと思うこともけっこうあって。
もちろん、生きている喜びを感じたこともありませんでした。
いわゆる、アダルトチルドレンです。


結婚式で花嫁が両親に手紙を読むじゃないですか。あれで「お母さん、生んでくれてありがとう。」ってセリフがあるじゃないですか。あれを言う人の気持ちがまじで分からなかったんです。

なんで、生んでくれてありがとうなのか。
ありがとうってことは、感謝してるんだよね?自分が生まれてきたことに、感謝できるの??
まじで、意味分かんない。 と思っていました。
生まれてきてよかった、なんて思ったこと、一度もありませんでした。


でも、40歳になった今。
”ああ、生まれてきて良かったなあ”って、感じる瞬間があります。
生きているって奇跡の連続って、よく聞く言葉ですが、意味が分からなかったわたしが、本当にそうだなあ、生きているってすごいことなんだって思っています。

昔の自分が聞いたら「は?何熱くなっちゃってんの?意味わかんない」ってシラーっとした顔できっと言ってると思います。

どうして気持ちが変わったのかというと、

ある日突然・・・!
あの日あの時あの場所で・・・の小田さんの名曲のような突然さではないのですが。

でも、きっかけとなった大きな出来事があります。


愛猫に異変が…!


わたしはねこが好きです。
十何年も飼える状況になかったのですが…念願叶って約2年前にようやく家族として迎えることができました。

ルルちゃんとコスモ君。二匹のねこが家にいます。
どっちも可愛くてたまりません。 とはいえ、2匹で家の中を走り回って、机の上に置いてあったわたしのメガネをふっ飛ばしてくれたり、障子をビリビリに破いて、借家をお化け屋敷風にアレンジしてくれたり、おしっこをトイレ以外の場所でして掃除が大変だったり・・・なんてトホホなこともありますが。

※ねこのおしっこショッキング大事件↓
朝起きたらすごい臭いから変だ変だと思ったら

なんだかんだあっても、とにかく、可愛いです。

そんなねこがいる生活が当たり前になっていた今年の2月。ルルに異変が起きました。

おしっこに血がまじっていたのですよ。
ギョッとしました。慌ててネットで調べてみると、放っておくと危険だと書いてあるじゃあないですか!
その日は祝日で近くの動物病院はどこも閉まっていたのですが、営業している動物病院を探して急いで行ってきました。
診察の結果、膀胱炎だと言われ、薬を出してもらい・・・ホッとして帰宅したのですが。


薬が飲み終わる頃に、ルルがゲーゲー吐くようになりました。そしてほとんどごはんを食べず便も出ない。うーん。便秘?ストレス?風邪?もう一度病院に行ってみるかぁ・・・と、今度は別の動物病院で診てもらうことにしました。

便秘薬が出されるんだろうな、くらいの軽い気持ちで行ったんですけど、獣医さんから言われたのは「原因がわからないが、腎臓の数値が異常で、このままだと命が危ない」ということでした…。

もっとも効果がある治療法は、即入院して一日中点滴をつけて腎臓をきれいにしていくことだと。
ただ、かなり状態が悪いのでこれで良くなるかどうかはわからないということでした。

「ともかくやってみましょう、明日また来てください」と言われ、わたしは気が動転したまま、ルルと別れて、家に帰りました。


ルルが死んでしまうかもしれない…。まだ2才なのにどうして…。
あまりにも突然で、あまりにもショックで、胸が張り裂けそうです。そして、悲しみとともに後悔が襲ってきました。

 

わたしのお世話の仕方が悪かったんじゃないのか。
もっと、ルルを大切にして、もっと健康に気をつけていたらこんなことにはならなかったんじゃないか。


膀胱炎の薬を飲ませたから悪化したんじゃないか。
最初の病院に連れて行ったわたしのせいだ。


息子たちに会わせる前にルルを病院に連れて行ってしまった。このまま死んでしまったら、息子たちはルルにお別れを言うこともできないんだ。そうなったらわたしのせいだ・・・


自分のせいで、ルルが死んでしまう。


自分をたくさん責めていました。辛くて悲しくて、耐えられないと思いました。
息子たちが寝た後、夜も遅い時間でしたが…思わず電話をかけたのは、いつもお世話になっている心理セラピストのあらたさんでした。

突然の電話にもかかわらず、わたしの話を聞いてくださって、この悲しみをしっかりと感じて自分に寄り添うこと、自分を責める必要はないこと、ルルといるときの暖かくて優しい自分の気持ちを感じることを教えていただきました。


電話を切る頃には、ルルが死んでしまうかもしれないという悲しみや不安や恐怖、自分のせいで…という罪悪感はなくなっていました。
そして、「ルル、大好きだよ。一緒にいてくれてありがとう」というやさしくて穏やかな気持ちでその日の夜は眠ることができました。


翌日は仕事を休み、午前中にルルの様子を見に行きました。獣医さんが悲しそうな顔をして「腎臓の数値がさらに悪化しているので、このまま回復しなければ、余命は2週間単位です」とおっしゃいました。

ルルが入院している部屋に行くと、前足には点滴がつけられ、首にはエリザベスコーンがつけられて・・・なんとも痛々しい姿でした。

「ルル!」と声をかけ、ルルがこちらに気づいた瞬間。
瞳孔がパッと開いて、ものすごーーく大きな声で鳴きはじめました。
そして、点滴を引きちぎる勢いでわたしに寄ってきてしがみつこうとします。


ルルは普段はとてもおとなしい猫で、滅多に鳴かないし、鳴き声もか細いのに、まるで別人(別猫?)でした。
わたしに会えてものすごーーーく喜んでいることが伝わってきて、早く家に帰りたがっていることも伝わってきました。

こんなに元気そうなのに、死んでしまうなんて信じられない。でも、覚悟しなきゃ。
その日の夕方、息子たちが学校から帰ってきてからもう一度、みんなでルルに会いにいきました。


ルルはまた、ものすごーーーーーく嬉しそうに、ものすごーーーーく大きな声で鳴きながらわたしと息子にしがみつこうとしています。

ひどく具合が悪いだろうに、それでも、わたしたちに会えばこんなに気力が出てくるんだ。
ルルは本当に、わたし達のことを好きでいてくれるんだなあ…としみじみ感じて、切ないけれど嬉しく、なんとも言えない気持ちになりました。



ルルがいない家は、いつもよりも静かで、ふとした瞬間にぶわーっと悲しくなって、涙が止まらなくなりました。そのたび、あらたさんに教えてもらったように、悲しみを抑えずしっかりと感じることを意識しました。
そうすると、じきに気持ちが落ち着いてきて、ルルありがとうね、って穏やかな気持ちが戻ってきます。そして、ただ側にいるだけでこんなに喜んでくれていたなんて、わたしはルルに愛されていたんだな、幸せだな、ってまた涙が出てきます。

これが何度も繰り返されました。

翌日。

職場には事情を伝えてあったので、朝仕事に行くと何人かの方が「ネコは大丈夫?」と声をかけてくださいました。
今の状況を話すと、悲しいと言って涙を流してくださる方もいました。
上司は「家族だからね、何かあったらすぐ行ってあげて。」と言ってくださいました。


仕事帰りにまたルルに会いに行きました。

そこで獣医さんから言われたのは、「数値が少し良くなっています!」ということ。
このときの嬉しさったら!! 
ルルやったね!しっかり元気になってお家に帰ろうね!と声をかけると、今までのルルとは思えないくらい、野太い大きな声で「にゃあああああ~~~~~」と鳴きました。
ほんと、別猫です。
いつもと違う環境に置かれると、野生に戻るのでしょうか…。


とはいえ、まだまだ安心できないので入院は続きます。



それから数日間、毎日お見舞いに行きました。
ルルに会いに行くたびに、ものすごおーーーーーく嬉しそうに野太い声で鳴いて、点滴がついている動きにくい体でめいっぱいわたしにすり寄ってきます。


元夫からは、神社のお守りが届きました。
なぜずっと猫を飼いたいと願いながらも長く実現しなかったのかというと、元夫があまり動物が好きではなく、飼うことを反対されていたからです。
でも、そんな彼からお守りが届いて、胸が暖かくなりました。


ルルが入院してから、とても悲しいけれど、同時に心が暖かくなるという、今まで体験したことのない不思議な感覚を何度も味わいました。
消して居心地の悪いものではなくて、むしろ、とても安心する感情です。

数日間の入院を経て、腎臓の数値は正常の範囲になりました。そして、ルルと一緒に家に帰れる日がきました!!

お会計は目ん玉がぶっ飛んで5m先に落っこちちゃうんじゃないかっていうくらいの金額でしたけど(動物保険に入っていませんでした 汗)、いや、多分一回、5m先に落っこちたと思うんですけど、とにかく嬉しくて嬉しくて。
ずっと元気がなかった息子たちにもやっと、笑顔が戻ってきました。


ルルは家に入るなり、バリバリバリバリと思いっきり爪を研ぎました。よっぽどストレスがたまっていたのでしょう。自分の身体を丁寧に舐めてから、わたしの側に寄ってきてくっついていました。
またこうして柔らかな身体をなでなでできる幸せ。当たり前のことが、当たり前じゃない。なんてありがたいことなんだろう、と強く感じた日でした。

そうしてまた、日常が戻ってきました。

ルルの死を覚悟して感じたこと

ルルが死んでしまうかもしれないというショッキングな出来事は、とてもとても辛かったけれど、そこからとても大切なことを教わりました。


まず、わたしにもこんなに愛があったんだなあ、という発見は驚きでした。
愛という、今まであるんだかないんだかよく分からなかったものを、自分の中にしっかりと感じたのです。あらたさんと電話していて、ルルだけじゃなくて、家族や友達や・・わたしにはこんなにもたくさん、大好きな人がいたんだということを知って、じんわりと喜びが広がっていきました。
孤独だったはずのわたしは、孤独ではなかった。これもまた、大きな発見でした。


そして、ルルもまた、こんなにもわたしを愛してくれていることを知って感動しました。
おとなしいルルがあんなにも大きな声で鳴いて家に帰りたがって、しがみついて一緒に帰ろうとするなんて。
わたしの顔を見たときのルルの表情、しっかりと目に焼き付いています。

一緒にいて、お互いが幸せな気持ちになれる。特別なことは何もしていないけれど、一緒にいるだけで幸せを感じられる。何かが出来るから、何かを持っているから、幸せを感じているわけじゃない。ただ存在しているだけで幸せ。 お互いに、存在そのものを愛している。


「ありのままで愛されている。」
「存在していることが素晴らしい。」という、今まで聞いたことがある言葉達が初めて、実感として心の中に入っていきました。

そして、これが愛なんだと知りました。愛を感じると、心の真ん中が、じんわりとじんわりと暖かくなるのでした。


一緒に御飯を食べて、他愛もない話をして、目を合わせ微笑むことができる。
当たり前にしていることは、死んでしまったらできないこと。そして、死はいつ訪れるかわからない。
生きているって奇跡なんだと、わたしは初めて感じました。



職場の皆さんの優しさもありがたかったです。
一緒に悲しんで泣いてくれて、ルルが元気になったと言ってまた喜んで泣いてくれた同僚。
家族なんだから、休んでいいよと言ってくれた上司。

お守りをくれた元夫の心遣い。

病院が定休日の日も、ルルの点滴のために病院を開けてくださった獣医さん。

わたしの幸せを願い寄り添ってくださるあらたさん。

わたしはたくさんの人に支えられて生きているし、これまでもそうだったのだ、と知りました。
いつ死んでもいい、生きている意味がわからない・・・それは、支えてくださっている方々のことを一切見ていないことの表れです。

わたしが幸せを感じられるとき、そこには誰かしらが関わっている。愛は自分ひとりで感じることができないのかもしれない。だから、他人の目を気にして、他人にビクビクして、自分の殻に閉じこもっていた今までの自分は、「生んでくれてありがとう」という感謝の気持ちが湧いてこなかったんじゃないか、と思いました。




いつかは死ぬと分かっていても…

「みなさん!人はいつか、必ず死ぬんですよ!!」「そして、いつ死ぬかは誰にもわからないんですよ!!」なんて言われたら、「そんなの当たり前じゃん!」って思いますよね。

だけど、いつ死ぬかわからない、とわかっているにもかかわらず、「明日は死んでない。あさっても死んでいない。1年後だってもちろん生きているし5年後だって元気」って、家族も自分も、まだまだ死なないことを前提にして生活している方もいると思います。
わたしはそうでした。

でもそれは違うって、ルルが病気になったことで身に沁みて感じました。
明日は、愛する者達に触れることができないかもしれないのです。

明日も生きている保証はどこにもない、という意識があれば…
毎日、大切な人に大好きだよと伝えたいし、いっぱいいっぱい触れたいし、匂いを嗅いで、ぬくもりを感じたいです。




記憶は薄れていくから

残念ながら、ショッキングな出来事から時間が経過するにつれて、あのとき感じた悲しみも歓びも、少しずつ記憶が薄れていってしまいます。


ルルの入院から3ヶ月が経過して、あの時を振り返りながら記事を書いていますが、「ああそうだった」と思い出しながら書いている部分があります。


大切なこと、忘れたくないこと、なのに忘れていってしまう。
だからこそ、繰り返し自分に問いかけないといけません。
「今日と同じ一日を明日も過ごせるのかわからないんだよ。だとしたら、今何をする?」って。

明日も生きているかわからないから不安だ、ではなくて。
明日も生きているかわからないから後悔のないように生きよう、という意識で。





何のために生きているかわからず、生きる歓びを感じたことがなく、感謝もなく、なんとなく生きている。死ねないから生きている。そんなわたしを、わたし自身が卑下していました。

でも、わたしはダメな人間ではなかった。
ちょっとカッコよく言うと…「愛という種が心の奥で眠っていただけ」 なのかなと思います。
眠っていたから、存在に気が付かなかったけれど、ようやく愛の芽が出てきたところなのかな、と。



このHPのヘッダー画像には「あなたの心に陽だまりを 一緒に愛を育てましょう」と書いてあります。
これは、愛は育てるものと教えてくださったあらたさんのお言葉です。


どうやら愛っていうものは、最初っからデカデカと存在していて、きらっきら光っていて、「これが愛やで!!」って太マジックで書いてあるものではないようです。
時間をかけて想いを込めて、大きく育つように努力して育てていくもののようです。

なので、やっと出てきた芽を大切に育てて、愛が大きく成長するように毎日を大切に生きたいなと思っています。
とはいえ、芽が育つには晴れの日ばかりじゃなくって雨も必要。
愛を育てるって言葉でいうほど簡単じゃないかもしれないけれど、希望は捨てずに前を向いて取り組んでいきます。




あなたがもし、生きる意味が分からなくて、モノクロの世界にいるような、味気ない日々の中で孤独を抱えながら生きているとしても。

じゃあ、これからどう生きていくの?っていうことは、自分で決められます。
愛の種を育てていきたい!!って思ったら、そのために何ができるか探すことができます。
探して、そのように行動することも、自分で決めてできます。


だから、わたしはこの記事を、大切なことを忘れないように自分自身に向けて書いてもいるけれど、孤独でいっぱいのあなたの心にも届くといいなあとも思いながら書いています。




左がルルちゃんで、右がコスモ君

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