プロフィールページを書き直しました。(良かったら覗いてくださいまし!)
前にプロフィールを書いたのは3年前位だったかな…。
久しぶりに読み直し、そして書き直して、感じたこと…。
過去の見方が変わった
3年前…当時の私は、幼少期を思い出すと、嫌だった事や辛かった事がどんどん出てきました。
【親にあんなことをされた、言われた】
【こんなにひどい、散々な家庭だった】
という気持ちが強くて、プロフィールにもそれがにじみ出ていました。
でも今は、幼少期を思い出した時に、確かに、両親は喧嘩が多かったし、父は怒りっぽいし、母は私に愚痴を言いながらよく泣いていたけど、
でも、父と母が普通に会話をしているときもあって、たまには、父が冗談っぽいことを言って母が笑っていたこともあって、その時の私は別にびくびくしていなかったし、親の笑顔にきっと安心していたんです。
24時間365日、いつもいつも家の中が暗くてどんよりしていた…というわけじゃなかったね…。
って、思うんです。
子どもの頃、お父さんは猛烈怖かったけど、
「もっとご飯食べな」って、自分のおかずを私によく分けてくれて、高校生の時は、仕事忙しいのに、よく駅まで送迎してくれて、優しいところもあったし、何より、家族の為に、休みもろくに取らずに、せっせと働いてくれました(父は個人事業主でした)。
お母さんも、お父さんへの不満がすごかったけど、私や兄にそのイライラをぶつけて、八つ当たりすることはなくて(私は結婚していた頃、夫へのイライラを幼い息子にぶつけてしまってました)、私達を置いて、一人で家を出ようとしたこともあったらしいけど、思いとどまって、子育てしてくれて、毎日ごはん食べさせてくれて、家の中を守ってくれて。
過去、辛い事はあったけど、そればっかりじゃなかったな…。ありがたいこと、幸せなこと、確かにそこにあったね…。
って、今は思うんですね。
自分が親になって、親と自分を重ねてみる
今、自分が親になって、子どもとの関わりであんな言い方はダメだった、子どもを傷つけてしまった…と、反省して謝っても、またしばらくして、同じような事をしちゃってはーあ、と落ち込むことがあります。
そんな時にふと、お父さんも、お母さんも、今の私と同じように、直そうとしたけどできなくて、「ああ、またやってしまった…」と落ち込んで、「ごめんね、さゆちゃん」って思っていたかもしれないよなあ…なんて、思うんです。
…と書いていてひとつ、思い出したこと。
私が高校生の時に、父が言ったんです。
「お父さん、これからはお母さんと仲良くするからな。ごめんな。今まで悪かったな。」って。私に謝ったんです。
その時私は、とても嬉しくって涙が出てきました。反抗期で親とろくに口をきかなくなっていた私ですが、この時ばかりは素直に喜びました。
ああ、やっと、喧嘩しなくなるんだ、仲良くしてくれるんだ…って。
でも…。結局、変わらなかったんです。
むしろ、更に、両親の言い合いはエスカレートして激しくなっていきました。
だから私は、お父さんもお母さんも口ばっかりだ。「嘘つき」って、ひどく落胆したのでした。
でも今、自分を振り返ったときに、「今度からはこれをしない!」とか「これをするぞ!」って決めても、続けられなくてやめてしまうこと、沢山あるんです、私だって。
あの時のお父さんも私と同じで、あの時は、お母さんと絶対にこれからは喧嘩しないぞ、仲良くしよう!と、一度は心に決めたのだろうな。だけど、出来なかったんだよね…。そして、そんな自分のことを、内心、俺はダメだと責めたり、軽蔑していたかもしれないね…。
って、思うんです。
嫌だったこと、悲しかったこと、許せないこと…
私はずっと、そういうマイナスな面ばかりにフォーカスしていたけれど、そうじゃなかったってこと。
親も苦悩していたかもしれないということ。
少しずつ視野が広がって…もちろん嫌な事もあったけれど、そうじゃない事もあったと、いろんな見方ができる…そんな自分になってきていることを、嬉しいなアって、思いました。
心の傷が癒されるって、こういうことなんだと思います。
心の傷が癒されるということ
あんなことされた、こんなことされた…!ひどい、最悪…!
と、そこばかり見てしまうのって、どうしてでしょうかね。もともとの性格…?
私が思うに、”心に傷がある人”はそうなりやすいんじゃないかなあと。
例えば…。
包丁で指を切っちゃうこと、ありますよね。 めっちゃ痛いですよ。
切った後はしばらくズキズキ痛くて、何するにしても痛くて、切ったところがずーっと気になってしまいます。
心の傷も同じなんじゃないでしょうかね。
痛いこと…つまりは、悲しかったり、寂しかったり、恥ずかしかったり…そういったところばかり、ズキズキ痛い“傷”ばかりが気になっちゃうっていう…。
指を切ったとき、涙が出るくらい痛いのに、「そんなの、気にするな!」って周りから言われたって、気になるものは、気になりますよね。だって、痛いんだもん。気にしないなんてこと、無理です。
心に傷がある場合も、周りから「そんなこともう忘れた方が良いよ」「もっといい面に目を向けて」なんて言われても、どうしたって無理!っていう状況。
だけど、本当に効果のある心理療法を受けたら、傷は治っていくんですよね。
切った指先の傷が治ればそこが気にならなくなるのと同じで、心の傷もそう…!そこばかりが気にならなくなります。
そして、すっかり治ったら…。
指を切って痛い思いをしたから、次は繰り返さないようにと、あの時、焦っていたのがまずかった、とか、これからは、包丁はこういう持ち方をしたら、防げるかも?
って、次はそうならないようにと気をつけます。工夫するようになるんですよね。
心も同じように、傷があれば痛くて痛くて、そんな先の事なんて考えられないし!ムッキー!!って、それどころじゃないけど、
治ればホッと安心して、で、この先はどうする?って、今そして未来に、意識が向くんじゃないかな。
だけど、心は目に見えないから、そもそも、傷があるのかないのか、あるならどこにあるのやら。自分じゃよく分からないし、治っていく過程も指の傷みたいに分かりやすくないし、
そもそも、指の傷ほど早くは治っていかなくてイジイジするかもしれないし、「この人、良さそう!」と頼った人がまやかしカウンセラーで、傷が治るどころかぐりぐりとえぐられちゃってもっと痛くなる可能性もあるんです。
だから本当に、カウンセラー選びには、気をつけないといけないです。
私は、自分が歩んできた道のりを振り返ったときに
あらたさんの心理療法(自己回帰セッション)を受けて良かった、と心から思います。
本物の心理療法家さんに出逢えて、本当に良かったです。ありがとうございます。
これは私の勝手な想像ですけど、父はもう亡くなっていますが、父も生前、心に傷があって、生きづらくて、苦しくて…そのまま死んでしまったから、私も同じ道を歩んでほしくなくって、だからあらたさんと出逢わせてくれたんじゃないかなーなんて…。(想像です。)
私自身は心理療法はできませんから、傷がズキズキしてる方には、それこそ、あらたさんのセッションや心理セラピーをお勧めしますけど、
いや、今はそこまでじゃないかな、とか、カウンセリングはちょっと抵抗があるな、とか、ちょっと今対人関係で困っていてね…。
という方に私は、人間関係の対処法を一緒に考えてやってみましょうね!という、セミナーや練習の場を設けています。
そして、だんだんと、
遠慮してばっかりで、ストレスがたまって甘い物ばっかり食べちゃうのがちょっと減ったとか、
イライラ、ぶつかり合うコミュニケーションが改善して、にっこり笑顔で挨拶できるようになったとか、猛烈腹立ってるときに、それを鎮める方法が見つかったとか…。
そうなってくると、今までよりも明るい気分で過ごせるようになって、「あら?!私、そういえばさっき、鼻歌うたってたわ! 久しぶりだわ~!!」 みたいな事になったり。
そういうふとした気づきがあるときに、幸せだなーって感じて、そういう自分にまた嬉しくなって、鼻歌がさらに増えたり。
無理矢理、自分は幸せだ!って言い聞かせたり、これくらい大したことない!と強がったり、私なんかどうせ無理だし…!というような、強引だったり諦めているのではなくて、日常の生活の中で自然と「あら?前と私、なんか違う…♪」って、ふとした瞬間に気付いて嬉しくなって…っていう感じがとても自然で良いんじゃないかなって思うから、私もそんなお手伝いができたらという気持ちでこの仕事をしているのです。
ということで、私のプロフィールは、こちらです。(2回目だね?)