ありのままの私は素晴らしい は勘違いしやすい

何年前でしょうか、流行った歌…

ありのままの~ 姿見せるのよ~
ありのままの~ 自分になるのぉ~♪


私はこの主題歌の映画を見た事がないのですが、歌だけは知ってます。松たか子さんが歌ってらっしゃるんですよね。


”ありのまま”って素敵な響きですよね。人の目を気にしすぎて生き辛い、と感じている方には…特に、甘くて魅力的な言葉に聞こえるのではないでしょうかね。


もれなく私も、ありのままのあなたでいいとか、ありのままのあなたが素晴らしいなんていう言葉を聞くと、こんな私が素晴らしいわけがない…という気持ちがありながらも、「そうなんだ。このままの私で良いのか…!」というちょっとした安堵感のようなものを感じました。


でもね。最近分かったことがあります。 この”ありのまま” を自分に都合良く、自分勝手に解釈しがちだということに…。 上↑の太字のように、”ありのまま”を”このままの”って解釈しちゃうのもそうですね。 自分に都合の良いように解釈しちゃうと…残念ながら、生き辛さが解消しないし、幸せにもなれないよっていうのが今日の記事です。 


 

ありのままは二段階

『ありのままのあなたが素晴らしいんです。』というのは、生涯、その、今の、あなたでいいよ っていう意味ではないんです。

人の目を気にしすぎてしまう私。そんな私をありのまま受け入れるという事は、「私は人の目を気にしちゃうのね。そうなのね。」と〇×をつけずに受け入れる事です。これは合っていますし、とても大切な事です。 だけど、それで終わりではないのです。 

だって、人の目を気にしている私がありのまま。そういう私で良いのよ!・・・と受け入れたところで、気持ちが多少は楽になったとて、実際に人の目を気にしない自分になれるのですか?
日常生活が、変わるんでしょうか??

外面が良くて良い人ぶっているけど、家では家族に八つ当たりしてしまう、ひどい私…。

いいのいいの!八つ当たりする自分をありのまま受け入れよう。そう、こんな私もOK! って思ったところで、八つ当たりはなくなるのでしょうかね。家庭内が平和になりますかね。 罪悪感はなくなるんですかね…?

・・・ならないですよね。 そう、ならないのです。ならないことは、私自身、嫌というほど感じていました。

”ありのままの自分を受け入れること”と、”ありのままの私は素晴らしい。” このふたつはとても似ているけれど、似ているだけで、ずいぶんと違います。

ゼラチンと寒天って、固まる点は似ているけれど原材料は違いますし、アシカとオットセイも似ているけど違いますし、阿佐ヶ谷姉妹のお二人も似ているけれど、本当の姉妹ではありませんし、山本美月さんと美月さゆだって同じ漢字使ってるだけで全然違います。(山本さんったらどんだけ顔が小さいのですか。)

そのくらい、全然、違いますから!!

ありのままには2段階ある…そう捉えると分かりやすいかもしれません。

まず、自分が今感じている事、自分が今している事をありのまま受け入れる…それが第一段階です。否定せずに、ただ、そうなんだ、と客観的に受け入れる、ということです。〇×を付けないということです。

その次に、”ありのままの私は素晴らしい”と感じられるようになるために、つまり、ありのままの私として自信をもって、生き生きと生きていくために、努力をしなければいけないのが、第二段階です。第二段階は、そのままの私でOK!ではありません。

そう。ありのままの私になるためには、絶対にしなければいけないことがあるのです。

それが、”努力”です。

努力するのは面倒くさいし楽じゃない

人の目を気にして自分を出せないと悩むなら、少しずつでも自分を出せるように、自分を表現できるように、努力をしなければいけません。

家族に八つ当たりをしたくない人は、そうならないように怒りの正しい出し方や感情をコントロールできるよう、努力しなければなりません。

・・・そう言われたら、どう感じますか?

え、そんなのめんどくさ。もっと簡単な方法、ないの?

ではありませんか? 何でやらなきゃいけないの? むりーむりげー私にはむりげーこのままでいいって言ってくれる人を探すわーバイバイーネット検索ぅ~!

って、なりませんか?

努力が必要 って聞いたらとたんに、やる気消滅。すっかり興味をなくしちゃう。面倒くさいもんね。 だいたい、努力しろったって、何をしたらいいのかわからないし。

筋トレのような運動系は簡単な方の努力だと思います。やることが明白だ、という意味で簡単です。
筋トレ自体は辛いかもしれないけど、何をしたらどうなるかが分かっているので、それをやればいいわけで。

だけど、自分自身の事は…考え方を変える、行動を変える、やることって一人ひとりで違いますからね。何をどうすればいいかわからないんです。だいたい、今までしてなかったことをするのは大変ですよ。勇気を出さなきゃできない事も多々あります。

努力って楽じゃないんですよね。 人は楽をしたい生き物なんだそうで。だから世の中にはこんなにも、便利、楽ちん、早い…そんな物がどんどん発明されてヒットするんですよね。たった7日間で驚きの変化が!みたいな言葉に惹かれるのは、短い時間で結果出したいっていう、つまりは楽がしたい、があるからですよね。

楽をしたいから、”ありのままでいい” の意味も、楽できる方に解釈しちゃうんです。
楽ができそうで、勇気を出すこともない。努力しなくて良さそうで、それでいて自分が素敵に変わりそうな…そんな魅力的な言葉が”ありのまま” です。 

でも、本当は努力が必要。あらららら。

努力したから分かったこと

どうして私が今、”ありのまま” って努力が必要なんだよって言えるのかというと、心理セラピストのあらたさんの自己回帰セッションを受けて、私自身が努力するようになったからです。 

私ももちのろん、楽して生きていきたい度100%人間で、「努力しなさいよ」って言われたとて、何をどうしたらいいのか、そもそも努力って何?イチロー選手がやってるような事を毎日やるの!?っていうレベルでした。 今までの人生で、努力した経験って言ったら、小5の時の跳び箱練習と、大学受験の勉強ですかね、思い出せるのは。
これらも筋トレと同じで、やっぱりやることが明白なんですね。だから進むべき道が見えているという意味では”楽”な努力です。そして、”勇気”もいらないんですよね。

 

でも、今までの自分を抜け出して幸せに生きるための努力は…したことがない。わからない。…いえ、わかっていても、楽がしたいから、やらない。勇気を出すのが怖い。失敗したら恥ずかしい。ダサい。かっこ悪い…。

だから、結局、変わらない自分のままです。

そんな私にあらたさんは、努力しなさい、自分でやりなさいと根気よく教えてくださいました。でもそう言われたってしないのです。あるいは、一回やったらもう満足しちゃう。 それを繰り返し繰り返し…。4年が経ちました。私が一人で努力をするようになるまでに、4年ですよ、4年。ものぐさ太郎もびっくりの年月。

あらたさんからずっと言われ続けてきたのは、「やらないから、分からないんだよ」「やらないから、自信がつかないんだよ。」ということ。
そう言われても、やっていないので、その意味が分からないのです。
でも今ようやく、意味が分かるようになりました。

そう、自分でやらない限りは、教えてもらうだけでは、自分の身にはならないのです。自分で考えて、自分で動いて、時に恥ずかしかったり、痛い思いをして…そうしなければ、分からない、感じられないことがある…。それを経験したから分かる世界が、しなければ分からない世界が、あるのです。

楽がしたい私だから、楽がしたい人の気持ちがわかります。
何をどうすればいいか分からなかったから、そういう人の気持ちはわかります。
どうしたらいいか分からないけど、今のままはしんどいの…っていう方に、私は自分の経験をいかして、セミナーや個人セッションをしています。

カウンセリングまでは必要ないかな。離婚はしなくて良いんです。職場は変えたくないんです。  
ただ、今目の前にいるこの人、毎日顔を合わせなきゃいけない嫌いなあの人との関係を、今よりもちょっとでも良くなれば良いかな…。
今よりも少しでも生きやすくなればいいかな…。 そんな風に考えている方に向けたセミナーや個人セッションです。

私は、心の傷を癒す力はありませんから、心理カウンセリングはしていません。

求める先は人それぞれです。どんな毎日を過ごしたいのか…日常の中でほっこり、安心できる時間が昨日より1分でも長くなったら、すごく幸せなことです。

もちろん、私のセミナーやセッションも、受けただけで変わるわけじゃなくて、自分で努力をしなければ変わっていかないです。 だから私は、”私と一緒に、仲間と一緒に、やれる事を見つけてやっていこうよ!”のスタンスです。

 

心の傷を癒す実力がある心理カウンセラー

あらたさんは、4年以上もの長い期間、楽をしたい、怠けたい…という私を見放さず、ひたすら私の幸せを願い、私を信じ、私が幸せになるために、私の家族が幸せになるために、嫌われる覚悟で時に厳しく𠮟り、いつも深い愛で側にいてくれました。 ご自身の時間を私の為に使い、命を削りながら…。
孤独な私のそばにいて、いつも話を聴いてくれ、私という存在をありのまま…そう、それこそ”ありのまま”受け入れてくれました。

生きる意味、人が幸せを感じる時、私の使命、日常で人との関わり方…ありとあらゆることを教えてくださいました。

私を育て直してくれたのです。親でないのに。身内でないのに。どうしてそこまで出来るんだろうか。自分で努力をするようになって分かってきたのは、あらたさんのセラピストとしての覚悟や誇り、人間…いえ、生命に対する愛情と信頼…。 それらはあらたさん自身が、努力をし続けているからこそ、持っていらっしゃるものだと思いました。

それに気づいたとき、心からごめんなさい、そして、ありがとうございます、という気持ちが湧いてきました。 私が努力をしないから、あらたさんの努力も苦労も、分からなかったのです。



心理カウンセラーは世の中に沢山います。だけど、心が傷ついたまま大人になったアダルトチルドレンの傷を、本当の意味で癒せる人って、世の中に何人いるんだろう…。

カウンセリングを受けたけど、なんだか良く分からないまま終わってしまった。自分のことを否定された気がした。カウンセラーの話ばっかり聞かされた…。高いお金を払い続けても、変わらない…。

そういうパターンが多いのは、心の傷を癒す実力がない、自称カウンセラーに、カウンセリングまがいのものをしてもらっているからです。私もそんな時期がありました。


”ありのままの私は素晴らしい” のありのまま って、 ”本当の私” という意味です。

本当の私…それは頭の中で考えている”自分ってこうだ”とは違うんです。

私は離婚していますが、頭の中では最初、離婚をしたくなかったんですよね。だけど、本当の私は、夫と離れたかったんです。でも、頭の中の自分の声しか、その時は聞こえていないんです。

一緒にいたらお金の不安がないとか、離婚したら子どもが可哀想だとか、引っ越しが大変だとか、それらの声は頭の中で作り上げた不安。妄想なんですが、それに飲み込まれて、心の声が聴こえなくなっているのです。

 

”本当”を知りたいなら、本当の自分…”ありのままの私”として生きていきたいなら、自分の頭の中でこうだ、と決めつけていることとは違った人生になる可能性があるので、その覚悟が必要だし、覚悟したうえで努力していかなければなりません。

努力する内容というか、方向も、自分だけで決めるのは危険です。心が傷ついたままの人は、頭の中と心の中の声との区別がつきにくいです。(というか、心の声が聞こえなくなっているから生き辛いわけで…。) そして、自分が努力しなくていい、楽できる方を選んでしまいます。

生き辛くてたまらない。本当の自分を知りたい、本当の自分として生きていきたい…そう願うならば、どうか、”ありのままのあなたでいいのよ” と甘い言葉をささやいて、何もしなくていいのよ、あなたはそこにいるだけで価値があるから♪ といって終わってしまうような、心理カウンセリングまがいに騙されないでください。 そこにお金を使うなら、自分が少しでもホッとできたり、リラックスできることにお金と時間を使ってください。

 

私も努力をはじめたばかりですが、努力した先の結果が楽しいのではなくて、努力することそのものが楽しく(楽ではないですけど)、努力そのものが宝物になるんだ、と感じます。

死ぬときに持っていけるものって何でしょうね。お金も、コレクションも、家族も…一緒に持っていけません。 持っていけるものは、自分の中の思い出。誇り。自信…そういったものですね。

私には、形はないけど、想えばいつでも胸の中があたたまる宝物がひとつ、またひとつと増えています。そこにはいつだって、私と心を通い合わせてくれた”生命”が存在しています。私は一人じゃない。繋がっている人・命がある。そう感じられる事…それこそが”幸せ”。 
死ぬときは一人だけど、この宝物を胸に、死ねるのなら、寂しくないだろうなと思います。

正しい歌詞はこれ

最後に、 ありのままの~ 姿見せるのよ~ の歌を、私が思う正しい歌詞に直して終わりにします。

ありのままの~ 姿は 努力の先にあるのよ~
ありのままの~ 自分になるの~ は ラクじゃないからね~

 

ラク と 楽しいは 違うのよ~ 
ラク に流されちゃ ダメよ~

松たか子さん、今後はこの歌詞で歌ってくださいませんか。歌いにくいとは思いますが、そこは松さんですからうまいことして下さるはずです。よろしゅうお頼み申します。


楽をしたいのは人間だから当然なのだけど、楽してたら変わらないから成長しないし、心からの幸せは感じられないよってことで、いっちょやりますか~!と、重い腰をあげて努力していきましょうよ。きっとね、面倒でも、時に逃げたくても、正しく努力を続けていたら…今までは知らなかった、とても穏やかでとても安心できて、とても幸せな… そんな世界が待っていますからね。