また会いたいねって言ってくれるのはなぜ?

少し前、職場の先輩が、仕事を辞めるかどうかで迷っていました。
実家を離れて一人暮らしをしていたその先輩、ご家族の介護のために遠く離れた市にあるご実家に戻ろうかと悩んでいたのです。

この職場が嫌で辞めるわけじゃないし、自分が介護をする必要がない可能性もあるそうで…。年齢的にも、次の仕事を探すのも大変だし…と、どうしたものかと悩んでいました。


わたしは、『後悔しない選択をしてください』って言いました。
わたしの父が亡くなったのは8年前。父親との関係が良くなくて、結婚して実家を出てからはずっと避けていて、孫をほとんど抱かせることもなく…会話もろくにないまま、父は他界しました。

でも今は父親に感謝していて、あの時こうしていたらな…なんてふと考えることがあって、ちょっぴり切なくります。
まだ生きているなら、”こうしたい”を叶えることができるので…。

なんて話をしました。

 


その後、退職を決めたその先輩。


20代レディA
 

みつきさん、引っ越しが済んだら、遊びに来てね。
職場の土産話、聞かせてね~!
みつきさんにまた会えると思ったら、辞めた後の楽しみができたよ!ありがとう。



とおっしゃってくださいました。


じーんとしちゃいました。
わたしとまた会いたいと思ってくれているんだなあ…と。嬉しかったです。

社交辞令じゃなく、本当にそう思ってくれているんだってことが、伝わってきたんです。
そして、言われたことを素直に受け取って、喜べる自分になっているということにもまた嬉しかったです。



過去のわたしは・・・引きこもりになった二十歳前後から人の目が異常に気になるようになって、自分は嫌われているって思い込みが激しくなって・・・。引きこもりからは抜け出せたけど、その先もずっと、かなり歪んだ物の見方をしていました。

人は自分を傷つける存在だって思ってました。
嫌われることをすごく恐れていて、うわべの付き合いしかできませんでした。
だから、好意を持ってくれている人がいても、その気持ちに気付くことができませんでした。何を言われても、心に刺さることがなかったんですね・・・。

 

ごはんに誘ってくれる人がいても。
元気にしてる?と気遣うメールをくれる人がいても。
何年も会っていないのに、年賀状をくれる人がいても。

その人の気持ち、その人の想い、まったく考えたことがなかったのです。


あの頃は本当に孤独で、真っ暗な闇の中で膝をかかえてうずくまって、かろうじて浅い呼吸を繰り返していただけ。

今は、空を見上げれば青空が見えて、両手を広げれば、近くにいる大切な人の手に触れ、手を握り、笑い合うことができて、ぽかぽか温かい日差しに包まれてゆっくり呼吸をすることができます。


どうせ自分は嫌われる。
そう信じ込んでいた頃は、感じられなかった気持ち。

人から言われて嬉しかった事。じんわり心が暖かくなったこと。
これからは、そのひとつひとつ、大切に胸にしまっておきます。
忘れっぽいからノートに書いて残しておきます。
また壁を作って膝を抱えて、自分だけの孤独な世界に閉じこもりそうになったら、ノートを開いて思い出そう。

そうしてわたし自身も、相手に伝えたい気持ちは、素直に言葉で伝えよう。そうすればまた、視界は明るく開けて、心の中に陽だまりを感じられるはずだから。

 

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